山々の見える住宅地 〜二子玉川〜

最近街を歩くのが好きです。歩けば歩くほど面白くなってきました。

東京育ちのものとして、東京の街について考えることを残しておきたいと以前から考えていました。この度、東浩紀北田暁大による対談「東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム」を読みながら、ここの観点を切り口に自分の感覚を整理しようと思い立ちました。

 

二子玉川は、新しめの高級住宅街として有名です。渋谷から東急田園都市線に乗り、二子玉川で地下から地上に出ると眺望が開けました。ホームからの視線は中央線の高架のように看板に遮られることもなく、広大な多摩川を見渡すことができるように作られていました。

 

一方向だけの改札を出ると、駅ビルが複雑に発達しており、エリアごとにお洒落な名がつけられています。改札を出たところの空間は一続きに空中歩道となり二子玉川公園に続きます。この公園は新しく、日本庭園然とした親水空間があります(入ることは許されていない)。公園内では、駅と公園の間に立つ高層マンションが必ず視界に入ります。

 

その空間から外れるように南へ行くと、多摩川の河川敷あるいは堤に出られます。堤防の中は水の少ない多摩川と枯れ草の波が広がります。寂しくも、広い空が開放的でした。

 

堤防を離れて北へ向かうと、はじめは新しめのアパート、さらに奥には戸建ての家々が並びます。小さな小川もあり、杉並区の善福寺付近の雰囲気に近づきます。さらに坂を登り下りして、たまに眺望の開ける崖を通り過ぎます。丘の上に神社もあり、寺も見えます。アパートは見当たらず、大きな邸宅のならぶ高級住宅地であることが伺えます。そのまま等々力渓谷と呼ばれるエリアに入ります。公園内を下ると、渓流の横の遊歩道を歩くことができ、足元に何度も現れる溝から今なお湧水地帯であることがわかります。

 

渓谷沿いには幅の狭い、樹種の多様な林がありますが、その向こうにはたびたび、崖上にたたずむ住宅が見えます。どれも大型でデザインが凝っているように思われます。

 

等々力渓谷の散策エリアの終点は、東急大井町線等々力駅のそばにあり、階段を上がり北の角を曲がると個人経営系の駅前商店が見えます。大井町線は線路が住宅のそばを通り、踏切から改札、ホームまで見渡すことができる路面電車の面影のあるつくりです。商店のほかクリニックや銀行など、駅前の一般的な並びです。思い返せば二子玉川では、ショッピングモールの外側の地上部分に、道を挟んで病院や薬局が見えたのでした。駅とショッピングモール、南側の高層マンションに行く道のりでは、おそらくクリニックや薬局が目に入らない。前掲の書の3章を念頭に置いたとき、ここに、二子玉川の「共同幻想」「テーマパーク的」な性格が現れている気がします。東浩紀が挙げたように、二子玉川もそれゆえにジャスコ(※現在のイオン)的なものに対しての強さがあるような気がする。他にも、日本庭園風エリアで遊ぶ親子、公園近くのカフェでご飯を食べる赤ちゃん連れのママ友といった人々を見るにつけ、二子玉川がどこまでも地域の人向けの場所であることを感じます。訪れる人の流動性が低く、「入れ替え可能性」は高くならない。これは画一的な郊外化「ファスト風土化」には反します。また、大井町線の方はファスト風土化に強いというのも、個人の店が残っている、地元の人の買い物のための「成城石井」があるという点で納得できます。

 

渋谷方面への乗り換え駅は二子玉川でしたが、誤って等々力で降りてしまい多摩川へ向かって歩いていたら、大きな道路に差し掛かり、そういえばあまり目にしなかったコンビニや鳥貴族といったチェーン店が夕暮れの中に並んでいました。スピードを出した車が目の前を通り過ぎていくのは環状八号線で、これが「国道16号線的」と呼ばれる景観なのではないかと思う。

 

道なりにいくと無事に二子玉川公園が見えて、前を歩く一団に見覚えがありました。若いおにいちゃんといった風采の5人組であり、等々力から多摩川の方角に歩き出したときに目にしたのだった。違う道で同じところにたどりついたこと、地元の繋がりであのくらいの年頃まで連れ立っているのだろうかと頬が緩みました。

 

多摩川の堤に登ると、途中の坂から見えた富士の輪郭が、橙の空を背景にはっきりと映え、その手前に神奈川県の山々が連なって見えた。山というのはまた記号的である。23区内でここまで山の連なりが見える二子玉川、なんとも奥深い場所であった。