東京の重心

山陽本線で京都までの日帰り旅をした。大阪や兵庫の都市部を意識的に見渡すのは初めてのことだった。大阪の高層ビルと広大な河川、三宮から東に変わらない広大な傾斜地。それぞれの駅と街に、色があり風土があるのだろうと思った。けれど私にはそれが見えない。同じ車窓を見ても、向かいの人と同じものを見ていない。それは私がこの地に馴染みがないということだ。

 

一人の人間でも、もちろん馴染みのある場所は時として変わり、車窓の見え方は変わる。子どもの頃はいかなかった場所に行くようになれば、比較もできる。街を個別のものとして認識するようになる。自分はそういった経験が確かにあるが、どうも記憶か更新されるうちに忘れがちになる。その前に書こうと思っていたことがある。それは、東京の重心はどこにあるか?という話だ。

 

重心とは単なる言い回しで、国政や行政の中心地とかいう目に見えるものでないという意味を込めているに過ぎないが、東京都に住んでいる人にこの質問をしたとして、誰も答えが一つに定まらないと感じるのではないかと思う。

 

私は中央線沿線で育ったから、一番初めに知った大きな街といえば新宿だった。もちろん家族でしか出かけない年齢の頃だ。自分のいる国と住んでいる都道府県をそれぞれ知っていても別々に理解している頃だ。小学生低学年くらいだろう。杉並区と周りの区について習ったことはあっても、おそらく新宿が東にあるということも理解していなかった。その頃の休日は、文具やおもちゃ売り場が好きだった荻窪タウンセブンが基本で、時にその「街」、新宿に出かけるものだった。おそらくユニクロかハンズくらいに行っていたのではないかと思う。(吉祥寺がまだ比較的個人商店が多くユニクロもなかった)。家と荻窪はバスでつながっていて、それとも別に遠くに大きな街新宿がある、絶対的に家と一画で結ばれた、中央としてそびえ立つ都会だ(本当の話。今にも忘れそうな感覚だ)。

 

鉄道旅行をする家庭だったため東京駅から帰省や旅行はしていたはずだ。しかし東京駅は、その時だけに使う駅でむしろ西日本に繋がる場所だった。LOCUSTの2号の記事で東京の西限が立川、空白地帯を挟んでそれより西はむしろ東京駅と繋がっている東側に属するという考察があったが(手元に原文がないので後日引用し直すかもしれない)、私の場合東限が新宿だったのだ。東西の理解そのものは別にして。

 

新宿には都庁があるので、社会科で東京の都道府県庁所在地が「東京(新宿)」となっていた時代もあった。でもはっきり言って東京の中心が新宿だとはとても言えない、というか言いたくない。私にしてみれば、新宿には好きな景色もあるが、文化的な蓄積という意味で全く東京を代表できないと思う。

 

中学校の後半で日本文学に惹かれる兆しがあった。夏目漱石を読み始めて、こころに出てくる本郷台の地名が地図を見れば今もある。その後で読んだ武者小路などの小説でも同じ場所が出てくる。これは画期的なことだった。地元の中学だったからさして行動範囲は広くなかった。さすがに東西はわかるし新宿までの中央線の各駅、西武新宿線の杉並の駅と高田馬場は頭に入り、吉祥寺から井の頭線が南へ伸びているのも承知していた。実は長期休みには御茶ノ水の塾へ通っていたことを思い出すが足を延ばす発想はできなかった。本郷、千駄木、染井、そういった確固とした文化の蓄積された場所への憧れは強烈だった。本当に一度も出かけたことがないかどうかは別として、未知の東京だった。

 

高校は文京区の、本郷台地の西の端である。小石川・目白台地というらしい別の台地との間に深い谷があり、そこを有楽町線が通る。その坂を毎日登っていたわけだ。台地を貫く鉄道網がないため、本郷の方へ寄って帰るのは難しかった。依然として憧れは憧れだったが、確実に東京の中心に近づけていると感じていた。いまだに好きな永井荷風の小説でさらに東の下谷やら浅草、果ては向島の粋な、情緒的な雰囲気を知った。東京のイメージが拡大していく。下町を持つ確固たる中心地。いまだに私は上野や本郷が東京の真ん中だと感じている節がある。浅草や今はスカイツリーのあるあたりは下町だ。下町には別にマイナスのイメージがないことは付記するが、土地の起伏がないに等しく、ビルや街路にシンプルで粋な、言うなれば無駄な出費のない雰囲気がある。上野公園を境に緑も多く、とにかく坂と曲がった街路ばかりになる。上野の北側の千駄木からさらに霊園のある染井のほうへの一帯は寺町で、文化人も多く住んだところで住宅も一戸建てが多い。本郷が有名なので伝わりやすいと思うが、街歩きのガイドなどでは谷中・根津・千駄木をまとめて谷根千と言われる懐かしの雰囲気もある。私の憧れの場所であり、菊坂から千駄木夏目漱石旧居地まで高校の社会科の課題で歩いたりもした。東京の中心はあそこだと私は言いたくなる。が、そう思う人はまずいないだろう。静かで主張する街ではないからだ。

 

京都へ出てきて関東以外の出身の人と話すと、周りからした東京のイメージが、大雑把に言えばビルと渋谷であることがわかる。メディアで作られるイメージでは渋谷の立ち居位置が大きい。ほとんど渋谷を使わなかった人の感覚で申し訳ないが、渋谷は駒場の方、高級な松濤やら代官山に繋がるセレブな郊外への玄関だと思っている。繁華街も薄暗さがなさそうだ。渋谷中心の一帯があることは間違いないが、そこが自立していて東京とはまた別のまとまりだと感じる。

 

東京の重心を考えるということだが、結局いくつかのエリアを見ても、ここだという場所があるわけでもない。自分にとってという意味に絞れば、重心は新宿から本郷台の方へ移った。それでもまだ、見えていない景色があるだろう。皇居や国会議事堂のあたり、赤坂のあたりは先日意識的に歩いてみたが、新しさを感じた。メトロしかないために地上の街並みはどこか落ち着いていて、代わりに自動車道路が席巻している。皇居も遠くから見ると堀と森の自然景観だ。あのあたりはまだ未知だから、中心ですと言われればそうなのかもしれないと思う。

 

重心を探す上で、自分にとってという条件を捨てることはできないかもしれないが、自分が本郷のあたりに憧れたのも、中心を求めたいという思いからだったかもしれない。まだ家の周り、東京の周りの広がりを知らない頃、言わば中央という観念が新宿に結びついていた感覚を書き残しておければ満足だ。